J's diary 改 ~ 2024.10.1 ~

ボールを蹴ったり、クルマを運んだり・・・

2024年11月23日 いい夫婦の日は過ぎちゃったけど・・・

11月はゴロを合わせて「いい○○の日」だらけなんだけど昨日は11/22で「いい夫婦の日」だったけど・・・

 

あんまりSNSをやらないウチのかみさんはそんなことは一切お構いなしの通常運航。まっ別に何かするほどのことでも無いしね。

いつも通りの日常、いつも通りの毎日がある意味一番幸せってことかな。

 

別にうちはオープンマリッジということでも無いし、かといって恋愛観はそれぞれだけど基本的にはそんなに保守的では無いかな。

たまたま恋多き女でも、浮気性の夫でも無いだけで偶然40年以上も連れ添ってる(結婚前の付き合っている期間含めて)と言うことか。

だってね〜一生一人の人しか愛さないとか、一生一人の人としかSEXしないとかそんな古風なことはあり得ないでしょう。

そもそもね、いい女もいい男もそれはやっぱり人を愛したり、恋したりすることで磨かれて魅力的になる部分は必ずあると思う。

それにもっと過激なことかも知れないけど、SEXの無くなった夫婦、いやSEXの無い女性、SEXの無い男はもうなんだかどんどんしおれるように枯れてしまってなんだか観ているだけで痛々しい、と思うのは俺だけだろうか?

 

やっぱり男に抱かれている女性はつやつやして綺麗で年齢など関係無く生き生きとしていると感じるし、男のほうこそもうSEXなんて無理とか言って加齢臭漂わせているような奴はほんとこの歳になるとその差歴然としている。

若ければいいと言うのでは無くて、なんだろう生き物として性を失ってしまったらもうあとは死に向かうだけって気がする。

本当に枯れてしまったら!!??という問題はこれから来る課題だからその時実際自分がどうなるのか?まったくわからないけれど、そこに女性がいる限り永遠に女性を愛するだろうと思う。

SEXがただ挿入と射精さえあればいいと言うのであれば、それが叶わなくなったら終わりだろうけど、SEXはそんなものでは無いと思う。自分の快楽の感じ方、考え方次第だからね。自分が逝くことが無くなったって女性が逝ったり、快楽を得ることのサポートやその姿を観ているだけでも充分自分だって快感を得られるんじゃ無いかと思うし、そういうものでありたい。

端から見ればただの変態じじいなのかも知れないが、それは日本の道徳的解釈に過ぎない。

 

ラテン系日本人の俺としてはやはり男として産まれたからには死ぬまで男でいたいし、女性をずっと愛していたい。

それが自分のかみさん一人でいいって言う人はそれだし、かみさん以外にも愛する女性や恋する相手がいても何ら不思議だとは思わない。

かみさんにはかみさんの良さ、そこへの愛はあるけど一途にそれだけと言うことでは無い。

好きな料理にいろんなものがあるように、乗りたい車にいろんなものがあるように恋する女性は突然現れたりするものだ。

自分に人を愛する気持や燃え上がる情熱をどうにも抑えられないような事が起こるなんてことすら想定外なのに、人生って不思議なものでそういうことは得てして起こるものなのだ。

 

それがいけないことだとは思わない。

だってたった一度の短い人生の中で、そんなチャンスをどういうわけかまた神様がくれたんだから、自分をがんじがらめにせずもうこれが最後のそんなチャンスなのだから自然体で思うがままにそのこと自体を愉しもうじゃ無いか。

 

若い頃の恋では知識も経験もお金も無かったから出来なかった事を、今またこの歳でそんな自分を俯瞰してみながら恋に溺れている自分を愉しみながら時間を過ごしてみようと思う。

そんな愉しい時間はもうそんなにあるわけじゃ無いのだから。

 

夫婦二人で過ごす時間も貴重で、長く一緒にいたからと言ってなんでも全てやり尽くしたかと言えばそうでは無いからそれもまだまだやらねばならないことはある。

でもそれとは別に夫婦ではもう出来ないことも逆にあって、それを別のパートナーと今一度愉しむことで日々の生活が充実していきいきとする自分がいる。

今はその両方が大切だし、それを理解してくれるパートナーと巡り会ったからこれからの日々はもっともっと輝いていくと思う。

 

短くはかない人生だものせいいっぱい輝くだけ輝いて散りたいもんだ。

 

わかるかなぁ〜〜〜わかんないだろうなぁ〜〜〜多くの人には・・・

自分勝手な人生と言えばそれまでだからね。